元ランナーの捜査日誌

日常のお話です。(今後未定)

弟子論

台風とともに体調を崩してしまい静養中です。

現場で静養というのも如何なもんかなと思い、今日は早退の予定ですが・・・。

話変わって、元から言えば、弟子を育ってる立ち場でも走力でもないけれど、師匠と呼ばれることがしばしばあり、じゃ、お前は弟子かな・・・。

教えられる立場を弟子とするのであれば、いつまでも弟子にいられるわけには行かねぇ。何れは「卒業」だ。なぜなら、これ以上教えることはないからな・・。

師匠と呼ぶのは勝手だろうけど、弟子と思うかどうかは、またこっちの勝手だ。まぁ、教えることがあれば弟子と思っていることだろうけど・・・。

育っていると言えば大げさ。単に少しの助言をするだけ。長くもないRunning lifeの中で自分の故障歴(これが相当なもんですわ)に照らし合わせて、そこそこ助言をする。焦点を絞るのはいつも「How many RUN」ではなく「How to RUN」なのだ。なぜか?「How to Run」が分かれば無茶をしなくなるからだ。パフォーマンスが落ちて、質が低いランはしなくなり、客観的に自分と向き合うようになる。なので、故障しにくい弟子になる。「How to Run」はカタルシスのような性質を持っていて、重苦しい練習を避けるようになる。重苦うしい練習自体があなたを強くすると信じてる人が多いけれど、それは間違いだろう。

人生色々、弟子も色々。やはりカテー2は吸収力がものすごい。2時間で卒業した弟子もいる。Movementのコツを教え、一回見せるだけで、すぐ真似ができちゃう。すげぇ~。

どうしても、直れない弟子もいる。いやいや、そりゃちがうんだろう!こうだこうだ・・・。*1
アンタを直すには背骨の手術しかねぇのだろ。で、3年も弟子をするひとも・・・。まぁ、でも、メタボ脱却して、故障することなく、月200kmでも走れるから、動作一つ二つ出来なくてもいいのだ。それぞれのランライフだから。

卒業して、すぐもとに戻る弟子もいる。How to Runが解ったとは言え体力には限界つうのがある。その限界に向き合うのがレース何だけど、人間心が弱くてレース前に試したくなる。レースで限界に挑めば故障することもなく、故障しても軽く済むはずなのに、レース前猛烈に試して故障してしまい、レースのスタートラインにたつことが出来ねぇ。心が弱い弟子だけはしょうがねぇ。師匠はあなたの心まで強くすることが出来ないのだ。

本当に本当に稀で、年2-3回ほどprivate lessonをする。その時はむちゃくちゃいい走りをしていたけど、地元に戻り、フォームももとに戻ってしまう弟子もいる。まぁ、いいんだ、故障せず楽しめればフォームなんかどうってことねぇ。

メニューをおねだりする弟子もいる。いつものことだかあなたを強くするのはメニューじゃねぇ。あなたをサブ3に導く魔法のようなメニューは存在しねぇ。教えたいのはメニューではなく、あなたの体との会話で生み出された情報を基に、自ら組み立てたメニューがあなたを成長させる。その組み立て方にちょっとだけの助言をする。それが俺のやり方だ。

弟子の中では誤解する人もいる。師匠は30km走が嫌いなんだ。30km走はやってはいけない・・・・。そんなことはねぇ。30も40kmもいいさ。正し、あんたの「How to Run」で30kmはパフォーマンスキープ出来ねぇ。それは無意味なのだ。

口汚く、破門とか言うけれど、本当は破門ではなく卒業なんだ。もう、教えることなんかないから自由にやれ。十分強くなってるし、一人でもやっていけるからさ。

*1:「このハゲ~」とは言っていません。